2012年5月1日火曜日

無計画リレー小説 第七話

【登場人物】
古屋勇太‥‥十九歳。小説家志望のフリーター。祖父の営む古書店でアルバイト中。
美園さおり‥‥十七歳。高校生。勇太の幼馴染で、美園屋青果店の一人娘。
古屋繁‥‥勇太の祖父。古書店を営んでいる。
古屋一雄‥‥勇太の父。
ジェイムズ・J・ジェイムズ‥‥伝説の作家。


 気がつくとそこは火星だった。
 見渡す限り荒涼とした大地が続いている。岩と砂で埋め尽くされた赤茶けた大地。その風景は、子どもの頃読んだ学習雑誌に載っていた火星のイラストと良く似ていた。
「知ってる。この光景……」
 勇太は、呟いてから気がついた。いつの間に火星に来たんだ?さっきまで塩焼きさんまにつかまっていたはずなのに。
 いやまて。
 火星だけじゃない。さおりはどこからあらわれた? じいちゃんは、どこからあらわれた?赤剥けの怪物も、ジェイムズ・J・ジェイムズも、唐突にあらわれ、唐突に消えて行った。まるで夢みたいに。
「夢にしては、あちこち痛いけど……」
 打ち身や擦り傷、それに所々火傷をしているようだ。応急手当くらいはしたいところだが勇太は手ぶらだった。
「救急箱でもあればな」
「はい、救急箱」
 見るとさおりがリュックから救急箱を取り出していた。
「いろいろ……持っているんだなあ」
「そうね」
 さおりはもの言いたげにしている。
「何だか、わけがわかんないよな、ここ」
 救急箱の中にはいまどきめずらしく赤チンが入っていた。正しい手当方法などわからないので、とりあえず赤チンをべたべたと塗る。
「イチチ……なんだって、赤チンと包帯しか入ってないんだろ」
「勇太、昔っからケガとかしてもほったらかしだったもんね。消毒とかちゃんとしたことないでしょう?」
「そんなことないよ、小学校の時には保健室の常連だったんだぜ」
「変な自慢」
「消毒されるのが一番苦手だったな、ひどく沁みてさ……ほら、なんだっけ?エタノールだったか」
「エタノールなら、ホラ入っているでしょ?」
 さおりが救急箱の隅を指差す。
「あ、ああホントだ。それにピンセットにコットン。思い出すなあ、こいつで傷口を消毒してもらったんだ」
 よくわからないなりに応急手当を済ませると、少しホッとした。
「見慣れたものが多いと落ち着くわね」
「そうだなあ。ははっ、火星の風景は見慣れちゃいないけど」
 手近な岩に腰掛ける。
 空を見上げると真っ黒な空が広がっていた。
「大気が薄いから、昼でも空は黒いんだ」
「大気が薄いのにどうして私たちは普通に息をしているのかしら」
 さおりの疑問はもっともだと勇太は思った。
「ふうむ」
 どうしてだろう。例えば……ここは本当の火星じゃなくて撮影用のセットであるとか。それにしては壮大すぎる。遠くに見えるあの山々はとても書き割りには見えない。何か特殊な設備で大気が維持されている?どんな設備だよ、そんな都合のいい話があるか。テキオー灯のような便利な道具があれば……そんな道具を使った覚えはない。上手い説明が思い浮かばないな、もしやあれか……と勇太が考えを巡らせていると。
「夢、とか」
「夢かもって僕も考えたけど。あちこち痛いしさ、夢とはちょっと思えなかったんだ」
「でも、まるで夢みたいだと思わない?行き当たりばったりで無計画で、怖かったり普段出来ない事をやっちゃったり」
「うん、確かにそうだね」
「夢じゃないとしても、夢みたいな、何か。無計画で無秩序な何か」
 何なんだろうね、とさおりは微笑んだ。
 何なんだろうなあと、勇太も呟く。
「なんだかわからないけど、ともあれ、このままずっとここに居るって訳には行かないよなあ」
「でも、どちらに向っても砂漠が続くばかりだよ?ここなら、岩陰があって過ごしやすいけど、移動した先がどうなっているかはわからない……ふふふ、わからない事だらけね」
「しょうがないだろ、この世界自体が『無計画な夢みたいな何か』なのかもしれないんだから」
 ひらめいた。
「夢みたいな何かの中で、夢を見たらどうなるんだろう」
「あ、それおもしろそう。どうなるだろうね?ちょっと待って、ちょうど寝袋がここに……」
 さおりは鞄から寝袋をふたつ取り出した。なんて都合のいい鞄だろう。寝袋でもあればなとは思ったけどまさか本当にあるとは。「夢みたいな何か」の世界だからだろうか。
「ちょうどほら、空も満天の星空。夜空みたいなものだよね」
 何となくやるべき事が見えた気がして、ふたりでてきぱきと寝袋を広げてもぐり込んだ。さおりと二人で眠るなんて、いつ以来だろう。ちらりと横目でさおりを見ると、目が合った。あわてて顔を空の方にそらして、星を眺める。
 今は夜なんだ、と自分に言い聞かせてみても、簡単には眠気はやってこなかった。落ち着かずにもそもそとしていると、さおりが話しかけてきた。
「勇太、小説もう書かないの?」
「辞めた」
「そう……」
 ひとしきり沈黙が続く。少しずつ眠気がわいてきた頃、さおりがまた呟いた。
「勇太はもう書かないって言ったけど。
 私は勇太のかくおはなし、大好きなんだ。だって勇太の書くおはなしはいつだって幸せに終わる話だもの」
 そんなの、だってあれは、たいした話じゃない、あんなのは。
「おとぎばなしだろ、めでたしめでたしで終わるのが当たり前なんだよ。つまらない」
 そんな話しか。そんな程度の。
「予定調和の話になんの魅力があるってんだ」
「そう……?」
「どこにでもあるありふれたおはなしをいくら書いたって、どこにも残らない。あっという間に忘れられておしまいだ」
 自分よりも長く生きる物語が書きたかった。自分が死んだあとも、読み継がれ、語り継がれるような。そう思って試行錯誤を繰り返して、でも、それは自分の期待するような物語にはならなかった。
「才能がないんだ。目指してもしかたがない」
「そう……それが勇太がゴールを消しちゃった理由なんだね。目的が見えなくなったから計画を無にしちゃったんだ」
 書かない言い訳をしているような気分になり、勇太はすこし恥ずかしく思った。言い訳をするつもりじゃなかった。
「わたしね」
 眠気に負けてきたのだろうか、だんだんさおりの声が遠くなってきたような気がする。
「物語を書くのって、無計画の中に計画を入れて行くようなものだと思うの」
 その声にはどことなくエコーがかかっている気がする。
「行く先のない旅に、ゴールを設定するようなものだと思うの」
 さおりはこんな声だったろうか。もやもやと思考がかすんでくる。
「勇太がこの自分の物語を書こうとしない限り、この世界は無計画ままだと思うの」
 最後のさおりの呟きは、もう勇太には聞こえなかった。
 眠りの闇の中にすうっと落ちていく落下感が勇太を包んでいた。
(つづく)

1 件のコメント:

蟹川森子 さんのコメント...

次書きます宣言。